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〒927-0434
石川県鳳珠郡能登町崎山3丁目16番地
TEL.0768-62-3345
FAX.0768-62-4176

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・ひさし
・庇
・アプローチ600
・玄関ひさし
・玄関庇
・勝手口ひさし
・勝手口庇
・後付ひさし
・後付庇
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23長春一人旅 父の思い出探し2018夏

父の旧住所 

私の父は満州育ち
昭和10年(1935年)生まれ 平成24年(2013年)逝去
子供のころ満州で育ちよく満州の話を聞いていました。
父から当時の住所を聞いて書き留めたメモ
満州国吉林省新京市和順区二道カシ
大日本製薬工場社宅P
と書いてあります。
 
父のなぞ
 
長男の父は小学校時代を満州で暮らしたと聞いています。以下父の兄弟たちのこと
 
長女 昭和8年(1933)石川県能登町生まれ 1945年5月本籍地死亡
双子の次女 昭和8年(1933) 産まれてすぐ死去
長男父昭和10年(1935) 石川県能登町生まれ
次男は昭和14年(1939) 濱江省五常縣山川屯朝日川開拓?生まれ 今のハルピン 
三男 昭和17年(1942) 吉林省舒蘭縣朝陽鎮道河子貞?石鉱?業所生まれ 今の舒蘭市
四男 昭和20年1月(1945) 新京特別市大同区平?街市立?壱病院生まれ(現在の吉林大学第二院)昭和23年本籍地死亡
 
じいちゃん定一&ばあちゃんみさ子について じいちゃん妹あや子(健在)の記憶証言ほか
 
明治42年(1909)石川県能登町生まれ 生きていれば109歳 
明治44年(1911)石川県能登町生まれ 生きていれば107歳
 
じいちゃんは青雲の志を持って満州に行った。周囲は止めたけど聴かなかった。
最初は長女と長男(父)は置いていった。
次男と三男四男は外国で生まれた。
長男(父)を連れて再度満州へ。
父は小学校時代を満州で過ごしました。
 
 

現在の住所さがし

現在の住所の手がかり 
1940年の新京市街地図です
 
大日本製薬(現在の大日本住友製薬)にメールして問い合わせしました。
 
昭和16年6月(1941)新京工場新設
満州国新京特別市河東区和順街第902号
 
私もネットでいろいろ検索しましたが当時とは住所区画や地名が異なり年代によっても変化するため
この住所では特定できなくて父のメモと合わせて
この二道河子の横の902号を新京工場跡に想定しました
 
あとは社宅です
社宅は大林組が同年工場と一緒に建設した事実があり問い合わせ
帰国後返答 戦中であり資料なしとのこと
 
しかしとにかくこの二道河子の交差点を中心にどこかに父は居住していたのは間違いないので
目的地は1941年の二道河子の交差点とします
 
グーグルマップで旧市街地の地図に良く似た道路を見つけました。
吉林大路といい今でも同じ名称で活躍している通りです。
二道河子の交差点は立体化して上に高速道路が通っています。 
 
そして大日本製薬跡地と想定した902にはアリババ系のショッピングセンターが建設中ということが分かりました。

羽田

2018/8/12羽田発エアーチャイナ
初めての国際線単独搭乗は緊張からはじまりました
午前5時
羽田国際空港 チェックインカウンター前
最初からエアーチャイナとチャイナエアラインと間違える
午前5時20分
7:20分北京行きの搭乗手続き開始 長い行列 最後尾に着く
しかし搭乗手続きは遅遅としてすすまない
一組一組念入りに進めるかんじ
私はほとんど初めてなのでこんなに時間がかかるから2時間前から並ぶんだったのかなと考えて
本当にこの進み具合で搭乗が間に合うのかなと不安になる
まだ日本なので誰かに聞けばいいのにじっと並び続けました
午前6時20分
やっと私の手続きの番
そしたら飛行機が遅れて10時20分出発になり北京長春トランジットも遅れるということ
長春は夜9時20分頃到着予定
せっかく昼2時30分到着予定だったのに夜に到着は怖いなー
エアーチャイナから1000円の食事券をもらったのでちょっとうれしかった
これで羽田空港で朝ごはん食べよう
午前7時
羽田のカフェでいちご入りシャーベットドリンクとエスプレッソをたのむ
妹にメールしたらエアーチャイナは怖いとおどかされる
午前8時
円を元に交換
手荷物検査 出国手続きへ
なんか調べられるのはこわくて緊張するね
午前9時
搭乗口へ向かう 免税店で買い物
ATMでで円が30000までおろせるそうで念のため現金をおろす
午前10時 
エアチャイナ乗り込み開始
エアーミストが降ってきてスッチーは天女さまのよう
もはや中国に行ったも同然

エアチャイナの機内食

私は海外旅行と言うのはあまり経験がなく日本から出たのは21世紀になってから初めて。
しかし日本では一言もしゃべらずに旅行できるので海外だって多分しゃべらずに旅行できるかと思っていたら大違い。
日本だったら見るもの聞くものすべてが日本語なのでOKなのだけど
もはやこの飛行機に乗った段階でどこにも日本語はないのだ。
 
機内の情報誌やモニターもすべて中国語か英語。
タブレットも見れないし退屈になってきました。
そのうち機内食があるということに気が付きうれしくなりました。
 
機内食は中国語でフィッシュ?ミートみたいなことを聞かれたので
肉(ろー)と言ったら通じなくて「キャンユースピークイングリッシュ?」と聞かれたので「アリル」と言ったら
機内食の中身をちらって見せてくれたのでこれにしました。
 
ヨーグルトが朝食ヨーグルト
日本語ではないか?
 
午後12時 便が遅れたため 機内食が朝食 オムレツのクリームソースかけみたいなかんじ。
 
 

そして私は長春へ一人旅立つ2018 8月

北京空港から長春行きへ乗り換え
 
   
午後2時すぎ   北京空港到着
トランジットが最大の難関 しかし時間がたっぷりすぎるほどあるので慌てなくていいのだがここは国際線でスーツケースを受け取って自分で国内線に預け直ししないといけないのだ
          
北京空港は世界一大きい空港
APMというシャトルに乗って移動 私はどこに運ばれていくのだろう
入国審査へ     入国審査へ 
最初にすることは指紋認証 パスポートと指を10本入れて証明書を受け取ります
 
そして入国審査へ 黄色いカードに名前やパスポート№を記入して順番をまちます
 
やさしそうな女の審査官にパスポートとカード指紋認証レシートを渡し入国OK
 
スーツケース受取 私の巨大オレンジ色スーツケースは早くも回転していました
荷物をおろすのが難しくてひっくりかえったら日本語と英語で大丈夫ですかと優しく声をかけられました。世界は優しい人がたくさんいます。
 
免税店で買い物   免税店で買い物したら搭乗券とパスポートの提示を求められ
中国語で言われてパニック 英語で言われてもパニック
長春行きの搭乗券ではなく北京までの搭乗券を見せなければならず御用済みにしなくて良かった
 
スーツケース検査  往時の旅程で一番山場だったのがここ
スーツケースを検査機に通す
誰も手伝ってくれないので重いのでした。
国内線搭乗手続き 続いてここも緊張 荷物を預けてほっとするも 国内線の搭乗口までもどこなの?
手荷物検査    中国人の検査官は厳しい顔でこわいです。
タブレットとバッテリー ガラケーを分けて通す
身体検査     検査機の感度がいいのかすぐ反応して台の上に立って念入りに調べられました。
ようやくスルー
おみやげ購入   北京空港のお土産店で美容液パックを3個購入
長春にはどんなお土産があるのか分からないので大事な人用にお土産キープ
カフェタイム    柚子茶みたいなのをたのんで少し休憩 
タブレット見るけどグーグルなどつながらないのを知らないでいったので接続が悪いのかと思っていました。
午後6時     長春行き搭乗 着いたら9時か~暗いだろうな怖いだろうなー
午後7時     機内食 揺れるらしくて用心してかピザの機内食 スプライトを頼みました
           
午後9時     長春到着 スーツケース受取
タクシー乗り場へ

長春のタクシー 空港からホテルへ

夜9時   オレンジ色の巨大スーツケースを転がしながら長春空港到着ロビーから出口を探して外へ
タクシー乗り場を見つける
駐車場係のような制服をきた兄さんにホテルの手配書を見せてシャングリラホテルと言うと通じた
 
35,6歳の運転手ちゃんがシャングリラ-と言いながらオレンジのスーツケースをタクシーのトランクへ
シャングリラ-は通じたみたいOK
 
そうしてタクシーは動き始めた
最初は高速に乗るみたい
 
ここからは私とタクシードライバーとの会話
 
 タクシードライバー 少し窓を開けて
 
     「らん 」 「らん」
 
 私    「えっ!なになに分かりません」「えっとえっと中国語でブージュド」「ブージュド」
 
 しばらく運転して
 
 私    「北京 らー(暑い)」「長春 涼」
 
 タクシードライバー 「!!!」 
 
 これは通じたみたい
 
 あーさっきの「らん 」 「らん」は涼涼だったのね。
 分かった
 
 タクシードライバー 「吉林省長春市 」中国語の発音で
 
 私    複唱
 
 タクシードライバー 「ワーチャイナ」「な?」って何回も言っていて
          私は中国人 あなたは?
 
 私     日本人は中国語でなんだったか忘れたのでパスポートのコピーを見せる
 
 タクシードライバー 「イーピン」
 
 私    そうそう父さんは中国語で日本人はイーピンって言っていたな
 
     「ワーイーピン」で私は日本人です
 
しばらくタクシードライバーは意味不明なことを言っていたが私はわからないので
ブージュド-を繰り返したり適当に返事をしたりしていました。
 
 タクシードライバー  「○△■パンヤオ」
 
 私  パンヤオって友達?「パンヤオ」
 
そのうちホテルに到着200元でした。
「アールバイ」 私中国語で999までなら言えますから

だいたい空港からホテルまで150元と想定していましたが無事にたどりついたのでOKです。
もしかして私はボラれている?(これは帰りのタクシーで判明)

そしてシャングリラホテルへ

とにかくホテルにたどり着けば一安心
チェックインの際
HISで精算の終わっている私はサイン一つでお部屋に案内されるものと思っていましたが
クレジットカードの提出を求められ動揺しました。
そうでなければデポジットの現金を求められました。
ホテル代金は清算済みを伝えましたが未入金という書類を見せられ
???って感じでした。
後で確認するとクレジットカードの引き落としが発生するのではなく
チェックアウトの際の精算のためと確認できました。
 
ホテルの部屋は36㎡もあって普段利用するビジネスホテルの2倍くらい。
私の巨大オレンジスーツケースを運んでくれたベルボーイに10元のチップを渡しました。
ベルボーイは喜んでいました。
中国はチップの習慣はないようなのですがホテルによっては用意してもいいみたいでした。
せっかく気持ちの良いサービスをしていただいたので。
今日はこのキングサイズで休みます。
 
写真はセルフタイマーでテーブルに置いて撮りました。
10秒で。
 

父の思い出の地 間違えるの巻

8/13
8時   今日は午前中運転手付の日本語ガイドさんを頼んで
父の元居住地探し
日本語ガイドさんは文語体で
おしゃべりする長春在住の方
「類似しています」とか
「異なります」とか真面目な口調です
ホテルで私が持参してきた上の2枚の地図で説明
ガイドさんは1935年くらいの新京市の
大きな地図を持ってきてくださいました。
  
ガイドさんの話 
「吉林大路と栄光路の交わるところですね」
 
行ってみたら
立派なオフィスビルが建っていました。
私は感動して父の写真に
「お父さんここですよ~立派ですね~」
といいながら周辺を見せて
お写真撮ったりして。
もう気分は完結。
 
ところがホテルに帰って地図を見て
いろいろ話しているうちに
ガイドさん
「間違えました
ここではありませんでした」
「しまったー運転手を返してしまった」
「タクシーで案内しますから
もう一度正しいところへ行きましょう」
 
そう 
なんか私がグーグルマップで想定していたところと
違うなと思っていたけどやっぱり違っていたのね。
でもOK
色んなところ見れるしうれしいな。
 

ラストエンペラーの宮殿へ

せっかく長春まできたのだから観光もしました。
清朝のラストエンペラーの宮殿です。
日本語ガイドさんは中国人
もちろん中国語もぺらぺらです。
 
父さんも子供の頃ここの宮殿の前を通ったと言っていました。
ちょうど日本でラストエンペラーの映画(ジョンローン主演)を見たときに
父さんが言ってました。
  
日本で言えば皇居宮殿ですから
平民だった父さんはもちろん入ったことのない場所に私はこれから入っていきます。
 
私の日本語ガイドさんが後姿を撮ってくれました。
宮殿からの風景が分かっていいですね。
 

ラストエンペラー宮殿内部へ

清朝ラストエンペラー溥儀さんの執務室
溥儀さんの寝室
溥儀さんの第一夫人のリビング
 
溥儀さんの住居にあたる宮殿は日本で言えば旧鳩山邸か旧岩崎弥太郎邸みたいな感じ。
日本の皇居ほど巨大ではないのだ。
 
内装や家具は洗練されています。
 
そして第一夫人の部屋とか第二夫人の部屋とか第四夫人の部屋とかあります。
みんな仲良く暮らしていたのかな?
 
紫禁城にいたときは広すぎでほとんど別居状態だったらしいけど
ここは2階建ての公民館くらいの大きさなので仲良く暮らしてほしい。

偽満州国博物院つづく

続いて溥儀さん皇居の別館にあたる建物に入っていきます。
当時の日本人の建設技術と洗練された内装がとても素敵です。
日本にもこんな建物ありますって感じで中国とは思えない懐かしさがいいです。
やはり満州国の首都
新築の時分はどんなに快適だったことでしょう。
ちゃんと保存してあって良かったです。
 
建物に入ってすぐのホール
映画ラストエンペラーで溥儀さんと夫人がダンスしていた場所
シャンデリアがきれい。
 
ラストエンペラーの映画もう一回見たくなりました。
 
溥儀さん長身ではあるけどジョンローンというよりは気のいいおっさんって感じ。
そうでなければ気の弱いおっさんみたいな感じ。
本当にここでジョンローンみたいに素敵にダンスしたとは思えない。
 
映画のラストエンペラーは脚色いっぱいと思う。

偽満州国務院

溥儀さんの宮殿を後にして
ガイドさん&運転手さんは中国語で今度はどこそこへみたいな話をワイワイはじめて
私は市街地の中にある森みたいな松の木があったりするお屋敷に案内されました。
偽満州国務院といって今は民間の会社が建物を買い取って内装などを直して
新京市時代の建物を使っているそうです。
 
満州時代に日本人が建設した建物は今でも役に立っていて
中国式のネオンの入った看板など付けられています。
 
とても中国とは思えない日本ぽくて懐かしい建物です。
中には入れないので外観だけです。
 
駒場の前田家にとても似ているのできっと中も同じような感じなのだろう。
昔の日本の建築はすてきです。
 
ここをガイドさんに説明してもらって私のリクエストしていた午前中の観光は終了
ガイドさんにウォルマートというガイドさんの日常の買い物をするスーパーに連れて行ってもらいます。
 
 

ウォルマート長春へ

私の日本語ガイドさんは午前中のお手配
まだ少し時間があったのでウォルマートというスーパーに案内してもらいました。
 
ガイドさん曰く長春のお土産屋さんはとても高いのでウォルマートで買うのがいい
というわけでウォルマートに行きました
 
ウォルマートはホテルの向いだったのでいつでも行けるのですが
ガイドさんはていねいに中を案内してくれました
 
内部は日本で言えばイオンみたいな感じ
 
中国製品はもちろん輸入品なら世界中のものがあります。
クオリティーならカルディ-の方がずっといいので
ここは長春でしか買えないものを買いましょう

えんようさんの宝石を見せていただきました

ウォルマートをみせてもらってガイドさんに
私は長春の伝統工芸品が見たいというと長春には伝統工芸品はないと言っていました。
 
いきなりガイドさんはバッグから大小の紫色のアンティークなペンダントヘッドを取り出して
えんようさんの宝石と言い始めました
 
そして私の生まれ年を聞き出すと寅年にはこれがおすすめと今度は赤いペンダントヘッドを
見せてくださいました。
 
ちょうどたまたまなのか寅年のラッキーカラーを持ってらっしゃたのか
十二支分の宝石を持ち歩いていらっしゃるのか分かりませんが
それとも紫派と赤派に二分されるのかは分かりませんが
 
お妃さまの宝石には興味はありますがえんようさんは悲劇的な方なので
自分で身に付けたりお土産にしたりするのは気が進まず購入はしませんでした。
 

そして再び正しい父の旧居住地へ

ここが大日本製薬工場跡地
二道河子の大きな交差点
どの角も発展していて当時の面影はありません
東盛地区 父の通っていた小学校はこのビルの向こう側かも
大日本製薬工場跡地の向い
西河東区と言われていたかもしれない
和順公園側 現在は中国版ヤマダ電機みたいなお店
父の旧住所から行くと社宅はここらへんにあったかも

父さんここです!

ここが父の育った場所と想定される
新京市和順区二道河子大日本製薬工場跡地
新京特別市河東区和順街902
 
現在はアリババ系のショッピングセンター建設中
オープン前らしく一部テナントのみ営業中
 
はるばる日本から訪ねてきました。
ガイドさんと地図を見ながら今度は間違いないよねと確認していると見知らぬ中国人男性が近寄ってきました。
このビルのオーナー?らしい方です。
 
このビルの前はたばこ工場?だったとか
向かい側の日本人住宅は取り壊されて今の建物になったとか教えてくれました。
 
まあそうですよね。
日本だって石川県だって能登町だって昭和20年頃の建物なんて名所旧跡くらいしか残っていませんから。
でももう10年くらい前に来ていたらもう少し面影はあったかも。
父さん無理しても一緒にくれば良かったね。
中国はこんなに近いのにどうして元気な時に簡単に来れば良かった~
叔父ちゃんたちも生きてるうちにね。
 
天国の父さんじいちゃんばあちゃん叔父ちゃんたちに持ってきた写真&戸籍謄本で近辺を見せてあげました。
 
例え元居住地がこの場所でなかったとしても二道河子の交差点には間違いはないので
近辺のどこかで間違いはないので。
 
みんな分かってくれたよね。
 

そして労働公園へ

長春はあちこちに新京時代の名残があり
この公園もその一つ
 
日本人が和順街に作ったときは和順公園と言ったそうです。
1940年代の地図にも記入があり多分父も行ったことがあるはず。
冬にスケートをしたというのはこの公園の大きな池のことかなと想定しました。
 
今は労働公園と名付けられ長春市民の憩いの場所。
大きな公園でイベントなどもあってキレイな公園でした。
 

労働公園は

父の住居風

ガイドさんが言うにはこの建物が父が居住した日本人社宅に近いものということでした。
昭和10年から20年の間に建てられた満州時代の日本人住宅主に2階建ては上下水道、暖房、水洗トイレが整い
最新式でした。
そして頑丈な建物は今でも外壁や内装を直して使われていることも多いそうです。
この建物は放置されて残っているようですが当時は住み心地が良さそうで品格も感じさせるような建物でした。
父さんはこんなお家に住んでいたのかな?
冬など家の中は少しも寒くなくて快適だったと言ってたから。
 

オフィス街

ガイドさんのご厚意で午後からもあちこち連れていっていただきました。
満州時代の日本人建築物は今でも大活躍。
長春のオフィス街はヨーロッパのようでとても素敵。
 
ここはもしかして日本?と思うような建物。
松は日本って感じがします。
日本人の作った建物はどれもみな上品でとても素敵
道路も大きくて都市の理想を実現したような壮大な都市計画だったのでしょう。
日本の島でチマチマしたのではこんな素敵な都市にはならなかったでしょうから。
満州時代にじいちゃんたちは最新の素敵な町に住んでいたのは数年とはいえ
素晴らしい経験だったことと思います。

市民の生活 

牡丹園というきれいな公園
長春マダムたちが日本風のうちわを持って踊りの練習をしていました。
先生は若いお兄ちゃん
イベントの練習をしているとガイドさんが言っていました
 
牡丹の季節にはたくさんの牡丹が咲き誇りたくさんの観光客が来るそうです。
その奥に楽々リタイヤ-の長春市民がのんびりしています。

新京時代からの高級住宅街

岸信介元総理の満州での居宅
長春では一戸建てというのがほとんどなく
めずらしい住宅
日本での昭和の高級住宅地の一戸建てみたいな感じで
私はとても気に入りました
レンガ通りの住宅街は町の中心地でありながら緑も多く
とても素敵
後ろの二階建ても満州時代の日本人住宅らしく
こんなところに住みたいくらいです。
内装とか少し直して満州風のインテリアを入れて住んだら楽しいかも。
 
 
左の建物はガイドさんの住むマンション
エレベーターがないと言っていました
そして小さな商店があってガイドさんが日常品を買うお店に案内していただきました。
中国らしくて雑多なお店にお兄ちゃんがいて
長春産のワインを買いました
お土産用に長白山というタバコも買いました
両方ともラベルがとてもキレイで日本には売っていないのでまた買いに行きたいな
 

この日に食べたもの 朝食

シャングリラホテルの朝食は圧巻
キッチンスタジオにシェフがいっぱいいて
中華がいっぱい 洋食もいっぱい 和食もありました
すべて作り立てでリクエストOK
 
私のチョイスは焼きそば(幅広のビーフン状)おいしかった日本にない感じ
チャーハン(長い米 日本のではない)おいしかった他に食べたことないくらい
卵とトマトの炒め物
椎茸の炒め物 かりかり感がおいしい
ポテトフライ かりかり感がおいしい
揚げ豆腐 かりかり感がおいしい
白玉まんじゅう
 
朝からは食べ過ぎないようにセーブしてしまうのですべて試食程度になってしまうのがさびしい
朝ではなく夜にビールやワインで楽しみたいなとこのようなブッフェではいつも思います
 
作り立ての豆乳もおいしかった
 
 

東方餃子王

ガイドさんチョイスの水餃子
中身は牛ひき肉など
ぷりぷりしておいしかった
 
見た感じするっと楽勝みたいだけど
食べると量が多くて一人では食べきれません
 
ガイドと一緒にいただきました。
こちらもガイドさんチョイスの水餃子
中国で餃子と言えば水餃子だったと父が言っていたので
食べてみたかったのです
一番おいしかったのは向こうの皿の三種の海鮮餃子
海老やホタテが大きめにはいってプリッとしていました
もう一つは豚肉に干しエビが入ったような餃子
日本の焼き餃子は中国では余った水餃子の焼き直しにすぎないので
おいしくないそう
 
味付けは日本の味ポンを持っていけばいい感じ

ガイドさんについて

日本語ガイドさん Q氏

私の担当になられた日本語ガイドさんはQさん
年齢は私と同学年
お医者さまの奥様は日本に留学されたそうです。
坊ちゃんも医学生
ご自身は長春の名門大学で地質学を学ばれて教鞭を取られたこともあるそうです。
とても博識で自然科学政治経済なども詳しいです。
そして私の父の居住地探し&買い物におつきあい下さったり
とてもお世話になりました。
 
好きなものはタバコとスプライト
 

夕食 シャングリラホテル シャンパレス

メニューの写真がきれいでオーダー
そらまめのペーストにホタテのお刺身みたいのがのっている
 
中国は冷やして食べるという習慣がないらしくて
刺身といえども生温かい
 
なんかヘンな感じなのだけど新鮮でおいしい。
多分貝類は生きていた感じがする。
 
中国の東北地方料理
紙に書いてオーダー
 
じゃがいもとチャイニーズマッシュルームといんげんみたいのが
甘辛に炒めてあります
 
日本人の口に合います
 
写真で見るとそれほどでありませんが中国は何でも二人分出てくるそうで
がんばって全部食べるのは大変でした
 
でもとてもおいしくて家でも似た感じの炒め物にはまりました
吉林省の名産品は木耳
白木耳のデザートをいただきました
 
日本で言えば寒天みたいな感じでいただきます。
 
やはり生温かいのでした。
 

今朝のごはん

スープはうすあじ
ラー油とか花椒とか自分の好みに味付けして食べるみたいでした
 

新幹線に乗ろうとしてパスポートを忘れる

中国では新幹線の切符を買うのにパスポートがいるとは知らずに
パスポートをホテルの金庫に厳重にしまい込み長春駅へ。
 
長春駅は周りにワイルドな感じの人がいっぱいいて超ディープ
 
新幹線の切符売り場と乗り場が連動しておらず
日本みたいな動線がない
 
切符を買う前に乗り場の方に行ってみるとみんな切符以外にIDカードみたいなのを持っていて必携のようでした。
 
ということはパスポートも必携?
ガイドさんに電話するとパスポートがいるそう
 
外国で新幹線に乗ってパスポートを無くすると大騒動というわけでわざわざ置いてきたのに
ウカツでした
 
これからホテルに戻ってパスポート取ってきても帰り遅くなるし今日は新幹線やめます
 
私のタブレット中国ではグーグルもフェイスブックもヤフーもユーチューブもつながらなくて
重いだけで役に立たないし
 
私のガラケーは国際電話でかけてくる人もいないのでマナーモードにしてしまい込んでいたら
ガイドさんが何回もかけてくれていて心配かけてごめんなさい
警察に届出したと言われました
 
駅には怖いタクシードライバーがたくさんいて先日日本人のアベックがスーツケースを盗まれて
返ってきたけど中身はなくなっていたとか聞かされました
 
ガイドさん心配したことでしょう。
ごめんなさい。
そして無事であったことに感謝します。
 
 

ホテルのロビーで中国琴のライブを見る

新幹線に乗るのにパスポートを忘れた私はハルピンに行くのをあきらめホテルに帰りました。
ホテルのロビーでは中国琴のライブがすてきでした。
中国のお琴は両手に爪をつけて左手でも音をだすのですね。
ほややんとして悠久な感じがします。
 

長春で一番おいしかったもの

新幹線を乗るのをあきらめて再度偽満州国博物院へ。
長春は観光地がここしかないというか。
観光のお土産を買うのはここだけなので。
偽満州国博物院からまっすぐの通りで晟家面飯快餐店という
お店に入りました。
日本語も英語も通じないので写真を指でさして注文しました。
辛そうな肉とご飯の組み合わせとか、肉と野菜を辛そうに炒めた料理とか
10枚くらいある写真の中で一番シンプルで食べられそうなものを注文。
これがすごくおいしかったです。
麺がつるつるでそんなに辛くなくてコクがあってイヤミがなく自然でとてもおいしかった。
本当にこれだけを食べにまた行きたいくらい。
しかも8元。水のペットボトルが1元。
 
晟家面飯快餐店
 
中国ではグーグルマップがつながらない代わりに百度地図っていうのが使われています。
帰ってきてから知ったのですが行く前にわかっていれば良かった。
 

ホテル外観とホテル周囲

3泊4日の日程も後半を過ぎ3泊目の午後。
長春のホテルの周りを歩いてみました。
私の泊まったホテルはシャングリラホテル。
シャングリラホテルは長春でナンバーワンで上客ばかりとガイドさんが言っていました。
ホテルクルーはみんな親切で優しくしてくれました。
今度行くとすればやはりここでしょう。
 
隣りがブランドショップの入ったデパートでした。
 
ホテルの前の通り。
この通りはずっと向こうまでにぎやかな繁華街が続きます。
鼎宝真という老舗の月餅屋さんに入ってみたり
ユニクロや化粧雑貨店など入ってみました
世界はグローバル化していてどこでも世界中同じように発展していこうとしているのですね。
お店の品物も日本製のもの韓国製中国製アメリカ製
ここが中国とは分からないような品揃え
だけれどもやはり銀座みたいにはなれないのですね。
だったらもっと中国らしくてもいいのかな。
でも同じ長春市でも発展していこうとする地域と
市場のような昔っぽいところもあってどちらも楽しい
まだまだいろんなところに行ってみたいけど今日でお別れ。
明日は日本。

長春最後の夜ご飯

長春最後の夜はホテルのビアホールへ。
ハルピンビールを注文しました。
どこで何を食べてもいいけど欠かせないのがビールです。
長春のビールは言わないとぬるいのが出てくるので注意。
やはり日本語も英語も通じないので中国語でやりとりするのは楽しい。
近くの中国人のお客さんがフーヤーとお店の人を呼んでいたので
そういえばガイドさんもフーヤーと呼んでいたので
私もフーヤーと言ってみたらお店の人が来ました。
ひとつ中国語を自力で覚えました。
私のオーダーしたのはポテトサラダ
メニューは中国語と英語で書いてあるので
漢字と英語で料理を想像して注文します。
日本のマヨネーズで味付けしたポテトサラダではなく
中国ハムとピーマンかいんげんみたいなのを
中華風に味付けした感じの料理でした。
やはり一人で食べるには量が多かったです。
 
おすすめはバーベキューというので注文したら
一皿のつもりで1と注文したら
焼き鳥みたいなのが一串きただけでした。
それで追加で4と注文しました。
 

もしかして

ウォルマートで買い物をしたら私の出す100元札を一枚一枚目視する店員さんがいて
ガイドさんが中国は偽札が多いというので
ホテルで両替したお札を見てみたら1枚だけアヤシイお札が
これはやばいかも知らずに使ったら使った私が犯人になるというわけで
ホテルのフロントに持っていきました。
こんな複雑なこと中国語はもちろん英語でどうやって説明しよう。
しかも説明したところで向こうが難しいことを行って来たらわからないしというわけで
パニックでしたが
フロントでアイエクスチェンジド ディスマネー イエスタデイ ディスマネー イズ ディファレントと言ったら
フロントのお姉ちゃんがあっさりとオールドマネー ニューマネーと言ってくれて
ソリ-で終了でした。
 

3回目朝食

昨夜はよく眠れず
というのはまたタクシーに乗って空港に乗って手続きをして荷物を預けて
飛行機に乗って北京で乗り換えてということをシュミレーションしていたら眠れなくなったのです。
ホテルの楽しい朝ごはんもあまり食べずに
そういえば日本食も食べてみようと思い小さなおにぎりを手に取ったのでした。
具の無い小型おにぎりは香りのよい海苔にくるまれていておいしかったです。
ヨーグルトドリンクは見た目ヨーグルトみたいだけどストローをさしてヨーグルトドリンクでした。
ジョアみたいな感じでおいしかったです。
 

帰りのタクシー

やはりこの旅の一番の難関は往復のタクシー。
長春の旅はタクシーで始まりタクシーで終わると言っていいでしょう。
シャングリラホテルでタクシーを呼んでもらって
中国ではスマホでタクシーが呼べます
それでホテルの担当者のスマホにタクシーの№が照会できるので
私の行方もある程度把握できるということでしょう。
タクシーに乗る前にホテルの担当者さんに
プリーズテルヒム デスティネーション エアポートと告げると
ホテルの担当者さんは運賃も確認してくれて170元ということでした。
来るときは200元だったので、やっぱり私はぼられていたのかな?
まず日本語はもちろん英語の通じないタクシー。
ちゃんと空港まで無事に届けてくれればOKという低い基準で乗り込みます。
シートベルトをしようにも壊れていてシートベルトはできません。
そして中国っぽい運転で空港に向かいます。
途中で運転手ちゃんは何も言わず急にUターンしてガソリンスタンドにはいりました。
そしてガソリンスタンドには3,4人の中国人のおっさんがいて
私のスーツケースの入っているトランクを開けるのです。
これは一体どういうことだろう。
私のスーツケースは長春のお土産でいっぱいなだけで
大したものは入っていないのに。
怖いというより思考が停止して
こんな時は中国とか日本とか家族とか小さいもののことを考えるのではなく
地球とか宇宙の事を考えようというわけで
お祈りしていたら
中国の自動車はガソリンの注入口がトランクの中にあるのでした。
そしてガソリンを補給すると
運転手ちゃんはまた中国らしい運転で空港に向かいました。
ここで覚えた中国語「小心」と言いました。日本語で注意という意味です。
途中中国語で30元の高速料金で200元になるけどいいかいみたいなことを聞いてきました。
来るときも高速に乗って200元だからこの運転手ちゃんも来た時の運転手ちゃんも同じなので
これが標準価格なのね。
無事に空港到着。
うれしかったので20元チップをあげました。
 
 
 

さようなら長春

来た日は夜で空港はネオン状態で何も分かりませんでしたが
朝みると工事中だったことが分かります。
キレイで大きな空港です。
 
 
 

帰りの飛行機 機内食 エアチャイナ 国内線

長春~北京の機内食
 
4枚のパンで3種の具をはさんだサンドイッチ
しかもパンは結構厚切り
 
2パーツくらいに分けようにもしっかり一体化している。

帰りの飛行機 機内食 エアチャイナ 国際線

帰りの飛行機 北京羽田便
機内食はご飯のチキン添え?チキンのご飯添えかな。
ヨーグルトみたいなのはストローが付いていて
飲むヨーグルトでジョアみたいな感じ。
 
往復4回の機内食で初めてビールとワインを頼みました。
帰ったら日本なのでもう油断してもいいかなと思って。
 
エコノミーの機内食でもビールとワインがあればゴージャスでした。
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